メメント

両手いっぱいの好きなものについて

THE BACK HORN「アカイヤミ」|瑞々しく禍々しい狂気

耳鳴りのようなキーンという音が耳を劈く、これは開幕の合図だ。

「アカイヤミ」を聴いたとき、この曲には暗闇にも勝る恐ろしさが潜んでいて、暗闇以上に不気味だと思った。「アカイヤミ」を知ったばかりの頃は、この曲がなんだか無性に怖くてあまり聴きたくなかったことを憶えている。実に青さが青くて失笑してしまう。

もちろん、いつの間にか血が滾る曲へと立ち位置を変えていったことは言うまでもない。「アカイヤミ」が孕む不穏さはこの曲名がカタカナで表記されているところにも表れていて、全体的に得体の知れなさが漂っている。それもまた「アカイヤミ」特有の魅力であり、引力なのだと思う。

そして歌詞カードに並ぶ顔。顔色の悪さもさることながらこの顔たちが浮かべる表情が何よりも狂気に満ちていて素晴らしい。この顔は喜びか、はたまた悲しみか。その真意はおそらく脳内に描き出される「アカイヤミ」のなかに鎮座しているのかもしれない。この表情が喜びであるか、悲しみであるか、ということは置いておくにしても、この顔たちが笑みを浮かべながら涙やよだれをこぼしている姿をまじまじと見つめているとゾっとするような不安を覚えはじめる。が、むしろそれは快感なのかもしれないと脳のなかで翻訳も徐々に始まっていく。

「恐怖に慄き、人は泣く、いや、笑っているのか」*1と語るのは、この絵を描いた山田将司だ。この顔たちを描いたときに夢のなかでうなされることはなかったのだろうか、と突拍子もないことを思い浮かべてはこれを描いた画伯(山田将司)に思いを馳せてみる。

ところで私が「アカイヤミ」を初めて観たのは「裸足の夜明け」のときのことである。この日は生まれて初めてTHE BACK HORNを観た日ということもあって、何とも珍しいことではあるけれど、断片的とはいえ、あの日のセトリは今でもまだ憶えている。「アカイヤミ」はそのうちの一曲である。

まさかあの場で聴けることになるとは予想もしていなかったし、なんか怖い曲という印象も払拭しきれなかった時分である。呆気にとられながらも圧倒的なパフォーマンスを目の当たりにした私はTHE BACK HORNの威力に見事中てられ、「アカイヤミ」にこれでもかというほど魅了されてしまった。なんかやべぇ曲じゃん、と。有り体に言えば語彙ともども完全に飲み込まれたのである。ライブの引力たるや。

とにもかくにも赤いライトで染められし武道館がとても懐かしい。あの情景を思い出すとき、なぜかその視界には私自身も映っている。私が私自身を見ることなどできるはずもないのに。空想と記憶が綯い交ぜになった何かがやけに鮮明に思い出されるのは不思議なことである。

鮮やかな狂気は瑞々しくも禍々しい。これは「アカイヤミ」を聴くたびに思うことである。赤いライトがチカチカと点滅を繰り返している。それと同時に警報音がけたたましく鳴り響き、危険信号は絶えず送り続けられている。そんな情景が思い起こされては狂気の渦に呑まれていく気分に浸っていく。

そのとき、この曲は狂気にとっては正気こそが狂気であるということを改めて示唆しているようにも思われる。ただ、狂気のなかにも一抹の切なさが息を潜めているところが「アカイヤミ」であり、さらに言えばTHE BACK HORNが放つ途轍もない魅力であると思えてならない。

誰もが美しい平等に意味もなく
THE BACK HORN「アカイヤミ」、2001年

他者を肯定していると思いきや、相手を突き放すように冷笑的な様子が見て取れる。端的に表現するところはもちろん、こういう皮肉的なところが好きなのだと思う。それから「春の雨のにおい銃声」*2という部分。春、というイメージにはおよそ似つかわしくない物騒さが強烈な印象を植え付ける。何よりも3つ数えても安らかに眠れそうにないこの勢いがたまらなく愛おしい…。

サビに向かって加速する勢いが鼓動をも早める。繰り広げられるファズ、胸の高鳴り、同席するとはにわかに思えない要素が手を取り合いながら熱気は一層高まっていく。

あぁでも頬にふれた手は冷たすぎて
涙がこぼれたせつない
同上

「せつない」がひらがなで表記されている冗長さがたまらない。わずか4文字に込められているせつなさからは、漢字で表記されるそれよりも切実な感情が宿っているような印象を受ける。日本語というのは表記の仕方によって魅せる表情を変えるところがとても奥ゆかしいし、THE BACK HORNはその表現力が抜きんでている。

終盤に向かって押し寄せるように盛り上がりを見せる感情。錯綜してもつれた気持ちがここで解けることはなさそうだ。複雑に絡み合ってこんがらがった感情が途方に暮れながら爆発していく。それに伴って身体中の血も沸き立っていく。「血が沸き 肉躍る恍惚」*3というフレーズの汎用性の高さに脱帽である。

優しくて許されぬ流れ出る赤い闇が
優しくて許されぬ優しくて許されぬ
あぁ僕ら何一つわかっちゃいないよ
救われたいだけせつない
同上

この昂ぶりがどこまでも伝播していくような勢いはとどまることを知らない。せつなさで胸が苦しくなる気持ちが痛いほどに表されていると思うのは、「胸が苦しいよ撃ちぬいておくれ こんな夜はいつも」*4と喉が引き裂かれそうになるくらいの強さで叫ぶ声を耳にするからだろうか。歪んだ音が炸裂しながら収束していく「アカイヤミ」

「8月の秘密」にも通じるのだが、溜めに溜めて放出されるエネルギーの存在をまざまざと感じる。耳障りな金切り音、金切り怨。分断されるようにして繋がれているのは次に鳴り渡る「雨」。情緒が追いつかない。こんな情緒をどうか撃ちぬいてほしい。

*1:山田将司『ART THE BACK HORN』、2021年

*2:THE BACK HORN「アカイヤミ」、2001年

*3:THE BACK HORN「野生の太陽」、2002年

*4:同上