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THE BACK HORN「惑星メランコリー」|暴発するエネルギーが織り成す創造と破壊

誠に僭越ではございますが、本件につきましては「10万行のラブレター企画」と勝手に題しております。このまま一心不乱に走り抜けたいです。ここは俺の世界。

THE BACK HORN』に続いて恋文を綴るアルバムは、2番目に手にした『イキルサイノウ』です。

THE BACK HORN』は、出会いの1枚だったので言わずもがな1番目に手にしたわけですが、2番目に手にしたのがファーストアルバムの『人間プログラム』ではなく、なぜ『イキルサイノウ』だったかというと、Youtubeで当時「未来」を聴いて感銘を受けたのが発端で、この曲が入っているアルバムを真っ先に買いたい!となったからです。ほかにもMVはあったはずなのに、なぜ「未来」だったのかな。上の方にあったのかな。「未来」に惹かれた以外の記憶は定かではありません。

ところで『イキルサイノウ』というアルバムタイトル、秀逸すぎやしませんか。カタカナ表記なところもそこはかとない歪さを醸していて一層唆ります。彼らのすべてが珠玉の名作なので、これ以上どう表現したら心の内側を満足いくまで言い表せるのか非常に歯がゆいのですが、『イキルサイノウ』という作品を聴けは聴くほど、THE BACK HORNの真髄に近付いていけるのではないかと、横暴にも思ってしまうわけです。10代のうちに彼らに出会えたことに心から感謝しています。

「惑星メランコリー」に言及する前に、最後にこれだけは言わせてほしいのですが、『イキルサイノウ』というタイトルもさることながら、ジャケットに写っている生肉を真顔で持つ山田将司と彼のガジガジの銀歯(裏面)がどえらく強烈ですよね。これ、本当に大好きです、大好きなジャケット打線を組みたいくらいに。ちなみに野球は詳しくありません。

そしてこれは毎度の余談ですが、私はこのアルバムを手に取ってしばらくしてから、ジャケットの御仁がまさっさんだとようやっと気付きました。節穴が過ぎますね。

というわけで、これでは『イキルサイノウ』の思い出話になってしまうので、長い前置きはこのくらいに留めてぼちぼち本題に移りましょう。

1番目の「惑星メランコリー」。名前からして、このうえない異彩を放っている。当時の私がこのアルバムのなかで知っていたのは「未来」だけで、かつほかにも聴いていたのは『THE BACK HORN』の12曲である。聴いたときにどれだけの衝撃を受けたかはこの曲をご存知の方々であれば想像に難くないだろう。

正直に言うと、これまで聴いたことのない曲たちに最初は後ずさりしてしまうような感覚を覚えた。暴発するエネルギーの塊を受け取れるだけの容量が、その頃の私にはまだ足りなかったのだ。

旋律も歌詞も破壊的な威力を放ち、辺り一面を業火で灼くような勢いの「惑星メランコリー」。勝手な憶測をご容赦いただきたいが、あまりにも純粋すぎる彼らだからこそ生じてしまうもつれがここには存在しているように思う。

このもつれとは、社会との軋轢であったり、生きていくことに対して拒絶しきれず、かといって肯定もできずに板挟み状態であることとか、無雑であるからこそ否応なく起こってしまう摩擦だとか、そんなふうに立ち行かないことによるものだと想定している。

そんな葛藤を抱える彼らが生み出すのは、桎梏から逃れるための黒々としたエネルギーと言っても差し支えないだろう。悪戦苦闘をしながら、なんとか這いずって生きていく姿が音や言葉の連なりからも看取される。器用だとか、要領の良さだとか、申し訳ないけれどそういう概念から離れたところで藻掻いている彼らが、心底愛おしい。

「惑星メランコリー」のイントロで漂う物々しさ。そして猛々しく吠え続ける山田将司。4人が鳴らす音と熱情が融合し、放出されゆく鬱屈を感じた瞬間、すでに深部までこの曲に引き込まれている。ジリジリと蝕まれる快感を覚えるのだ。この曲のなかで醸し出される怪しさと妖しさが綯い交ぜになったブラックホールみたいな深淵に、のめり込んでいくほか手立てはない。

愛が地球を救うなんて誰か言う
笑っちまうような絶望の底で
THE BACK HORN「惑星メランコリー」、2003年

この節からも、荒んでいる様子がヒリヒリと伝わってきます。この皮肉よ。結局のところ「愛」が救うのは、自分自身か、あるいはそれを受け取る覚悟があるひとだけなのではないだろうか。

愛が何某か明確に言い当てられるわけではないけれど、無作為に選び出されたひとに対するものでもなく、宛名がないものでもなく、限定しない範囲に対して有効なものでもない。私はそう確信している。

愛というものは私にとっても大切にしたいもので、実際にその眼差しを向ける明確な対象がある。けれど、耳障りの良さだけが強調されている「愛」、言い換えれば明確な対象がない愛などというものは、むしろグロテスクな代物にちがいない。

最後のラブソング 人類に捧ぐ
俺達は害虫 燃え尽きて死んじまえ さあ!
同上

極めつけはこれである。「俺達は害虫 燃え尽きて死んじまえ さあ!」と怒号が鳴り響くこの破壊力である。これだけの鬱屈やら鬱憤で自分さえもぶっ壊していくかのようではあるが、ここから何かが始まる予感がすると、そう思わずにはいられない。さながら破壊と創造が背中合わせになっているかのような際の部分を目の当たりにしているような気分である。

強烈なこの一曲、浅見ではあるが、これを作成していたときと、まるっきり同じ気持ちでいられるわけではないだろうけれど、彼らが刻んだ歴史を振り返ったときに、今の彼らだからこそ歌える歌と、今でも彼らが歌い続ける大切な歌が同席していることを痛感し、感動を覚えている。

突出した熱量から織り成される破壊と創造、そして状況に応じて変化する心情、ないし疼きのようなものを、繰り返し繰り返し思い出すかのように紡がれていく物語、そんなあわいを目の当たりにして、奥行きのある楽曲たちを今でも歌い続けてくれることに心からの感謝を申し上げたい。

「惑星メランコリー」を皮切りに繰り広げられる、THE BACK HORNのすごい世界。『イキルサイノウ』のなかで息づく11曲が放つそれぞれの生命力。ギラついた彼らを、改めてじっくりと見つめ直したい。『イキルサイノウ』を携えながら、この奥深い世界を骨の髄まで堪能いたしませう。

 

追伸|

これが例のMidjourneyで生成してもらった「惑星メランコリー」だ!!!(ドン!)

(出典:Midjourney)

1枚目と2枚目では少し雰囲気がちがうの。1枚目は惑星それ自体がヒートして煙を吐いているみたいで、それに呼応するかのように赤いライト?を灯しているみたいな街が少しグロテスク。

そして2枚目の絵は腫れあがって今にも爆発しそうな赤色巨星に見えますね。それを見ている二つの影は親子だろうか。絶妙な距離感が陰鬱としている。と、そんなこんなでせっかくなのでペタリ貼り付けました。すごいぞMidjourney。