THE BACK HORN 「舞姫」|THE BACK HORNの歩き方
「舞姫」は『BEST THE BACK HORN』にも収録されている定番曲だ。この曲はいわゆる「THE BACK HORNらしさ」が如実に現れた言葉と音の連続だと思う。日本語の奥ゆかしさを体現し、わびさびなるものを描き出す音の運びがなんとも粋だ。
叙景的な歌詞からは、色鮮やかな景色を思い浮かべることができる。「花吹雪」や「はらり舞う桜」*1という言葉が出てくるので、季節はきっと晩春だろう。生命が芽吹き、浮き立つような気持ちとは対照的な憂いを帯びているさまが何ともいじらしい。
ところで季節と言えば、いつぞやの灼熱のなかで開催されたマニアックヘブンを思い出す。あれは夏曲しばりの伝説ライブだったと個人的に思っているのだが、季節を描写している曲と言うのは、それだけで趣があって好い。音、言葉、季節の移ろい、あるいは日本独自の美意識の表出、THE BACK HORNの音楽では、それを至る所に散見できる。
ノイズのように耳を劈くイントロの歪みとは対照的に、氷のように透きとおった山田将司の歌声は、恍惚として聴き入ってしまう音色だ。「舞姫」だけに限ったことではないけれど、この爆音を背負って歌を全うできるのは、山田将司しか居ないのだと、そこはかとない確信を得る。
魂を直接見たことはないけれど、全身全霊で魂なるものを燃やしているような、そんな気迫と熱量を感じてやまないのだ。
「舞姫」の作詞は我らが菅波栄純先生。栄純先生がいけずなのは、彼の表現力が凄まじいところだ。大鬱と評して差し支えない「ジョーカー」のようなメランコリーを得意とするのみならず、栄純先生名義である「あいしてぬ」のようなラブリーポップの極みをも操り、加えてそこに奥行を持たせるようなかたちで「粋」というものを体現する。きっとこれは彼の凄まじい「表現欲」なるものがなせる業にちがいない。
この歌詞の美しさに目が眩む。声に出して読みたい日本語が過ぎるのだ。ところで「別れ霜」とは何だろうか。おなじみWeblioで検索してみた。それによると「別れ霜」とは以下を指すようである。
晩春のころ、最後に降りる霜。八十八夜のころに多い。忘れ霜。
すなわち季語は春。こんなところにも春が綻んでいたとは知らなかった。「朧月」も春の季語だ、昔学校で教わった気がする。春霞に溶けそうな月に想いを馳せると、それと同時に桜が映えるさまが容易に思い出される。
そういうわけで、「舞姫」には春が思いのほか潜んでいることを今更知った。これまで聴いてきた楽曲には、まだまだ多くの発見があるにちがいない。これからは新たな発見を携えて馴染み深い曲を聴くことができそうだ。
これは余談だけれど、THE BACK HORNあるあるの一つに計上したいことがある。それは、THE BACK HORNの曲から知らない言葉をたくさん学ぶ、ということだ。これはどんな意味の言葉なのだろうか、と辞書を引くことがままあるのだが、そんな動作もワクワクすることにふと気づく。THE BACK HORNの楽しみ方は、思った以上に奥深いのかもしれない。
今はまだ遠い春、桜が散るのだって、最早早春のうちではないかとさえ思う昨今ではあるが、晩春の頃にこの歌を聴きたい。できれば朧月が見える夜がいい。そんなお誂え向きな情景を思い浮かべてみたりする。今はそれが楽しみにしていることの一つ、まだまだ先は長い。