メメント

両手いっぱいの好きなものについて

THE BACK HORN「羽根~夜空を越えて~」|両面性に宿る引力

聴いた後に込み上げてくるたしかな満足感。深呼吸ともため息とも取れるような深い深い呼吸を感じる。しっとりとしたバラード、遠く響く鈴の音が心地よく、雪が舞う冬に聴きたくなる一曲です。

不器用ながらも誰かを深く想えることは一つの才能である、そう思わせるのは、「羽根~夜空を越えて~」の内に秘められたやさしい遣る瀬無さを垣間見てきたからかもしれない。穏やかで温かみのある音のなかを漂っているのは、やさしい声で紡がれる苛烈な想い。相反する要素が絡み合って創られる世界は、こんなにも危うげでこんなにも美しいから、とにかく目が離せなくて、聴くこと以外できなくなる。私は、そんな時間のなかに閉じ込められるような気持ちでいる。

気付けば人生の半分近くを、THE BACK HORNがいる世界で呼吸をしてきた。たしかに音楽に対する愛を語る際に、年月の長さを引き合いに出すのは無粋なことかもしれない。けれど、こうした年月があったからこそ醸成されてきた想いがあることも事実である。この思い出を私から奪うことは誰にもできない、そもそも私にさえできない芸当だ。

成長過程において様々な感情を知るとき、傍らにはTHE BACK HORNの音楽が何食わぬ顔で存在していたように思う。だから、つまるところ彼らの音楽は、徹頭徹尾拠り所であり、かけがえのない宝物なのである。

「羽根~夜空を越えて~」と出会ったころには想像できもしない感情を知ったこととか、言葉にすることができるようになった感情が増えたこととか、そのほかたくさんあるしょーもないことを含め、色々を経験した後で改めて聴いてみると、これまでとはちがったふうに響くことを知る。

もしかするとこれがいぶし銀ってやつなのだろうか。年端も行かないお子様だった私には「羽根~夜空を越えて~」は難解であったよ、そりゃ。誰かを想うということは、良くも悪くもたくさんのことを学ぶからね、喜びだけでなく、痛みや悲しみなんかも、これでもかというほどに。

人をあんなに愛したのはきっと
最後だろう死ぬまで
THE BACK HORN「羽根~夜空を越えて~」、2003年

こんなにも切実な想いが端的に言い表され、この歌は始まる。目が離せない点ではあるけれど、何と言っても、ここまで言い切れるくらいの経験はそうそうできやしない、ということも注目に値するだろう。人でも誰でもなんでも、一つの対象を深く愛するというのは、当の本人には至極当然なことであっても、体験したことのない他者からすればそれは随分と稀有なことなのだろうし、もしかすると才能とも言えるのかもしれない。

もとより人それぞれの愛し方があるわけだから、何がいいとかこれは悪いとか、一概に決めつけるような野暮なことをしたいわけではないことは、ここで釘を刺しておこう。

繰り返しにはなるけれど、秀逸な表現によってこの曲のなかで織り成されている、楽しいのに悲しいとか、穏やかなのに痛いとか、一見するとちぐはぐとも取れるような事象によって形成された揺らぎに惹かれてしまうのは、人間のサガであろうか。ひらすらに魅了されて、心を奪われたまま、ずっとそのままだ。

あのひあなたの世界から全ての
音が途切れた突然に
ああ届かないなら歌なんかいらない
カミソリを喉に当て引いた
同上

自暴自棄になるさまが純粋すぎる青さを帯びていて、随分と凄烈である。「街はクリスマス」*1で賑わいを見せているであろうにも関わらず、それとは対照的に、しんしんと降り積もるような雪の如く、静かにたしかに募る憂鬱をそこはかとなく感じます。

痛々しさのなかにある不器用な愛情がヒリヒリしていて、なんだかいいなあ。「カミソリを喉に当て引いた」は、痛切さと相俟ってなかなかにショッキングな歌詞です。そう感じるのは今も昔も一緒。

ああ正しくもなく
だけど間違いじゃない
俺達は確かに生きた
同上

前向きな諦観とも言えるような諦めは、カラカラしていて小気味よい。正しくなかったのだとしても、間違いではなかったと、それこそが自分たちが生きてきた軌跡なのだと胸を張って言えることは、自分を肯定する一歩を踏みしめたとほぼ同義である。

自分たちが辿ってきた道筋が一般的にどうであれ、自分だけは絶対的な評価を下してやるべきだろう。選んだことに対する後悔は何かとつきまとうかもしれないが、それでも選択してきた全てを「間違いじゃない」と肯ける心持ちは、きっとこれから先を生かしてくれる糧になるにちがいない。この歌のなかでも、悲痛の最中を泳ぎ切った肯定が、一閃する光として「俺」の救いになっているのだろうか、なんてことをふと考えてみたりもする。

想いが今夜は夜空を越えて
あなたのもとへと届く気がする
そして世界中声なき歌が
降り積もるだろう幸せそうに
同上

終盤にかけて、憑き物が落ちたかのような視座の高まりを感じる。「声なき歌が降り積もる」さまは、さらさらの粉雪よろしく軽やかで繊細にちがいない。できるだけ長い間、融けることなく留まっていてほしい。「幸せそう」な表情を恒久的に携えていてほしい。あまりにも勝手だけれど、THE BACK HORNが奏でる響きに感じ入っては、願ってやまないこと。

そんな願いのたなびきを、高らかに鳴り響く鈴の音と重ねてみたりするなど。「羽根~夜空を越えて~」を聴いていると、内側から温かい気持ちが滾々と込み上げてくる。毎度のことながらシンプルすぎる感想だが、「はあ、いい曲だ…」とため息をもらすばかり。

THE BACK HORNと同じ時代に存在できたことに海よりも深い感謝をしている。「ありがとう」以外に伝えられる言葉は残念ながら見当たらないけれど、ただ「ありがとう」をいついかなるときも伝えたいと思う。いつも、本当にありがとう。

そして少し余談ですが、まさっさんの声だけで奏でるシリーズで歌われていた「羽根〜夜空を越えて~」も本当にマーベラス素晴らしい作品なので、改めて聞いては幸福に浸りたいと思います。ざぶん。

*1:THE BACK HORN「羽根~夜空を越えて~」、2003年