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両手いっぱいの好きなものについて

THE BACK HORN「白夜」|暗闇が魅せる化学反応

マニヘブか通常のライブか記憶が定かでないけれど、「白夜」は結構聴いたことがあると思う。ライブでの「白夜」ってめちゃくちゃ盛り上がりますよね。アップテンポな曲だから盛り上がるわけではないことを「白夜」はいつも気付かせてくれる。あの盛り上がり方って「白夜」特有でとっても好きです。

THE BACK HORNあるあるのうちの一つ(独断と偏見による、かつ何個あるかは不明)、明るくない曲なのに「なんだかすごい明るく盛り上がってしまうハイ」が「白夜」は如実に表れている気がする。

これはマニヘブで聴く「天気予報」にも似たハイなのかもしれない。圧巻のステージに呑まれるフロア。この景色を目の当たりにするたびに、ライブだからこそ目撃できる表情が「白夜」にもあることを確信させる。

ところで「白夜」ってラブソングなんだろうか、それともやはり端的に言って失恋ソングなのだろうか。いずれにしても、この曲の振り切れ方がとても粋に感じる。

少しばかり悪態をついて吐き出すように編まれる世界。これを描き出すのは、菅波栄純だ。

君にさよならを告げて僕は晴れて自由になった
縛られて嫌になって 砂埃 唾を吐いた
菅波栄純「白夜」、2008年

「君にさよならを告げ」たのは「俺」なのに「俺のもとを去った人よ」なんて表現されているところがにくいぜ。勝手なイメージだけれど、未練がましい男性像がふつふつとイメージされる。どうにも思いを断つことができずに後ろ髪を引かれるような姿が。見事なまでに情景を描いてくれる栄純先生の表現力にひたすら脱帽する。

縛られたのが嫌で告げたさよなら、それはもしかするとただの強がりだったのかもしれないし、勢い余ったがゆえの暴挙だったのかもしれない。事実、猛烈な勢いが放出するエネルギーは、容易に想像を超えるように放埒であることがままある。

こうしてくすぶっている「俺」と対照的なのは、教会から出てくる「幸せな奴ら」*1だ。他者の幸せを心から喜ぶには―――喜ぶ筋合いもないとしても―――やはり心に余白が必要だ。自ずと喜ぶことができるなら、それは素晴らしいことだと思う。けれど、遠い他者の喜ばしい出来事に共感できるほど心に余裕がないときだって往々にしてある。

対象との距離にもよるけれど、突然の喜ばしい出来事に対して何の屈託もなく喜べるということは、一種のバロメーターでもあろう。自身の反応によって、その時点で心の余裕がどれほどあるのか、ある程度は正確に判断することができるからだ。そうやって狭量になっている自分に気付いてまた機嫌が悪くなったりもするのだけれど。

ものすごい軽い気持ちでコングラチュレーションひゅーひゅー!っていうときだってたまにはあるにしても、割り切れない想いを抱えた俺にとって、よその誰かの幸せそうなシーンは堪えるものがあるにちがいない。

夜がこなければ誰が愛を語るだろう
夜が恋しくて俺は目を潰すだろう
神は知らぬ振りさ 白夜 白夜
胸が壊れそうさ 白夜 白夜
同上

今さらながらにこの曲名が「白夜」であることにハッとする。夕刻を過ぎようとも、夜闇は一向にやってこないのだ。

「晴れて自由になった」俺が抱えるのは、壊れそうなほどの胸の痛み。不釣り合いなものたちが絶妙な均衡を保ちながら配合されているところが面白い。

「白夜」のように目を潰したり、「羽根~夜空を越えて~」のように剃刀を喉に当てて引いたり*2、栄純先生が書く詩ではなかなかに物騒な表現に遭遇する。

こうした表現には一抹の仰々しささえも感じるのに、どこかしっくりくる感覚がある。これは不思議な化学反応とも言えるかもしれない。

この化学反応も相俟ってか、「白夜」を聴いていると、内容はちっとも楽しくない曲なのにどうしても楽しくなって無条件にリズムに乗ってしまう。楽しいぜ、「白夜」。

楽しいと言えば、いつも拍手が沸き上がるこの部分。言葉が飛び交うように交差し、昂揚するのを感じる。

きっと気の迷い 悪魔の囁きさ
二人バラバラバラバラバラバラバラバラになっていった
たった数秒で
同上

バラバラが何個あったか指折り数えるけれど、口ずさむと案外ちゃんと歌える不思議。ゲシュタルト崩壊もなんのその。8個ですね。ゲシュタルト崩壊を起こしながらもちゃんと数えました。一斉に沸き起こる拍手とともに会場内にも微笑みが広がっていくのを感じます。

そして美しいなあ、とため息をついてしまうのは次の節。

きつくきつく赤い糸で俺の全て縛ってくれ もう一度
同上

ものすごい勝手な了見だけれど、未練たらたらに思いを断ち切れないひとに現実世界で出くわすと、個人的にはほとほとうんざりする。とはいえ、歌のなかで繰り広げられるこの表現、ズルいじゃん、好きにならないわけないじゃん、といつも思ってしまう。

拘束されない表現は、いつだって瑞々しくて鮮やかだ。

ところで夜は明けるべきものとして、陽の光を待ちぼうけるための時間として描かれることが多い。あたかも、この局面を凌げば希望や期待が待ち構えていると思わせるような描写でもあろう。

たしかに夜は黎明を迎えるために越えるべき存在だと言える。ただ、この「白夜」で言いたいのは、夜こそが迎えられるべき存在として描かれているということである。

夜がこなければ語られる愛もなく、夢は灰に変わり、そして俺は目を潰す…そんなふうにして渇望される夜の存在。

結局のところ、ないものねだり、なのだろうか。朝の光も、夜の暗闇も、「俺のもとを去った人」も。

「白夜 ア ア ア ア ア ア ア ア ア ア」乾いた声とともに刻まれる楽し気なリズム。最後まで「白夜」は楽しくも、どこか哀愁が漂っている。「白夜」は閉じるとも、この勢いのまま疾走する「蛍」を追いかける。

*1:菅波栄純「白夜」、2008年

*2:THE BACK HORN「羽根~夜空を越えて~」、2003年