「罠」はTHE BACK HORNの16枚目のシングルで、ライブでもお馴染みの楽曲である。個人的には、「罠」もどことなく新しい曲というイメージが今もなおある。
しかし「罠」が発売されたのは2007年である。もう15年以上も前のことだという事実に震撼せずにはいられない。数字は現実を的確に突きつけ、空想を現実にあっけなく引き戻す。
発売されるのとほぼ同時に「罠」に出会った。つまりそれは高校生のときのことである。我が情緒を形成するにあってTHE BACK HORNが多大なる影響を及ぼしたことは言うまでもない。
何らかの局面で感化された心が必死に求めたもの。それが当時の私にとってTHE BACK HORNだったのだと思う。
CD、DVD、本、そして雑誌、手あたり次第に手を伸ばすなかで目の当たりにした彼らの思想や息吹、そして何よりも楽曲たちが魅せる表情。それらに感動して、共鳴して、気付けばそれが自身を構成する歴史にもなった。この歴史が今日まで続き、おそらくそれは明日にも繋がっているのだろう。
初めて「罠」を聴いたとき、うねるように轟く前奏に見事絡めとられて、スピーカーの前から動けなくなったことをありありと憶えている。
ベースもギターもドラムも、すべてが打楽器か?と思うくらいに打ち鳴らされるような音圧。フルスロットルで疾駆し、それ自体が生命であると思わせるように躍動感に溢れる音たち。どの音も生き物のようである。縦横無尽に流れる旋律は骨の髄まで響く。
体育座りをしながら歌詞カードを開いて、この曲が繰り広げる世界のなかに没入した。
「罠」の引力は凄まじい。チェーンソーのようなけたたましい音が耳を劈くと同時に「絶望は甘い罠」*1と何よりもまず告げられる衝撃たるや。「心が戦場だから誰にも救えない」*2という表現は、ここで掻き鳴らされる音を模したようにとげとげしく、言い得て妙である。
命さえも玩ぶのか 壊れかけたおとぎの国で
胸の奥に走る痛みをどうかずっと忘れぬままで
菅波栄純「罠」、2008年
サビに入る前の部分、「ブリキの兵隊達は殺戮を始める」*3のところ。この部分は、これから盛大なサビが待ち構えていることを教えてくれる。次にすごいヤツがくるにちがいない。そう思い、拳を突き上げずにいられないライブキッズたちがありありと目に浮かぶ。
徹頭徹尾「かっこいい」の結晶である「罠」。語彙がゼロになって、表現力などログアウトするくらいに「罠」は途方もなく勇ましい。
とくにサビでたたみかけてくる音の勢いと圧。これには毎度完膚なきまでにノックアウトされてしまう。
とはいえ、ただ勢いよく飛び出していくだけではないのがTHE BACK HORNの楽曲たちである。勇ましさのなかに息を潜める切なさ、ここにTHE BACK HORN特有の奥ゆかしさを目の当たりにすることになる。
圧倒的な音たちを前に「いやはや、コレだよ。コレ。」とつい唸りたくなる。明確な場所を指し示すことができるわけじゃないけれど、胸の奥に響いていつまでも消えない感動が心のなかをずっと漂うことだけはたしかである。
もしかするとこれも「胸の奥に走る痛み」の一つなのかもしれない。どうかずっと忘れぬまま、この気持ちを携えていたい。
勇ましさのなかに同席する切なさ。THE BACK HORNが創り出す世界が、大好きなんだよ、と繰り返し銘記する。
優しさを信じ 全てを許して
慈しむように ただわかちあって わかりあって
同上
これまでの激情をなだめるように穏やかで、やさしい。「慈しむ」と歌詞にあるように慈愛に満ちた佇まいで語りかけるようである。
「慈しむように ただわかちあって わかりあって」そういう心持ちでいることができれば、ものすごいやさしい気持ちで生きていけるかもしれない。ただわかちあうことや、わかりあうこと、それこそが難しいことではあるけれど。
ところで「罠」はMVの演出も印象深い。終盤に差し掛かるころ、間奏の部分で影のような顔をした4人が、それぞれの楽器やスティック、マイクをそれぞれの本体と思しき姿から受け取るところが非常に熱い。ここから目に見えて大迫力の鮮やかさが迸る。
それまでも情景には色があるのに、ここから一層鮮やかに染まっていくような、視界が開けていくような演出にグっとくる。THE BACK HORNが描き出す鮮やかな世界が、ここでもまた広がっていくのだ。どこまでもどこまでも駆け抜けていくような疾走感を携えて。
愛を知らず揺れるゆりかご 何故僕らは生まれたのだろう
遥か彼方 祈りのような子守歌が響く
同上
「何故僕らは生まれたのだろう」という疑問に囚われることは必至である、と個人的には思っている。この問いにぶつかるのは、特段落ち込んでいるからというわけではない。平常心だったとしても問わずにいられないことが往々にしてある。
考えたところで満足のいく答えがすぐに出てくるわけではない。とはいえ、理不尽なことに対して、自分なりの答えをあてがうことができれば、少しは生きやすくなるような気がしている。
なんとかして世界を分節するために、自分にはないものの見方を取り入れようとしてみる。できることもあれば、なかなかできないこともある。一筋縄ではいかないけれど、そのうちに腑に落ちる感覚というものにも出くわすのではないかと、思っている。
なぜ生まれたのか、この問いはあまりにも理不尽で、とりとめもなくて、答えも存在していない。が、音楽をはじめとして大好きなものたちを愛でるため、と言えば、案外悪くない回答ではないかと、最近では思う。脳内ハッピークソ野郎、いいじゃん。
そういえば、『パルス』の最後の曲である「生まれゆく光」では「泣きながら僕ら生まれてきた 愛し合うことを知る為に」*4って言ってたっけな。
これも図らずとも一つの問いに対する一つの解になっている言葉なのかもしれない。
「罠」。喧騒、というと語弊があるかもしれないが、爆音が鳴り響く前半部分と異なって、あまりにも静かに閉じていく姿がいじらしい。
「罠」を聴いて15年前に負った胸の痛みは、今でもまだ疼いている。何度だってライブで会えるから、何度だって思い出そう。
輝かしい終わりに向けて、あと1曲。久しぶりに「罠」のMVを見たら目頭が熱くなった。