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THE BACK HORN 「セレナーデ」|狂喜乱舞するロマンス

セレナーデってドイツ語なんですね。初めて知りました。「セレナーデ」という曲を端的に言い表すならば、甘美で完美、という表現に尽きる。コトバンク先生によると、セレナーデの意味は、「夜、恋人の窓辺などで歌い、または奏でられた愛の歌」のことであり、日本語だと「小夜曲」と表記する*1。奥ゆかしさが表れていて粋な表現である。

有名どころだとモーツァルトの「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」がセレナーデらしい*2。「セレナーデ」と一口に言っても、そこで繰り広げられる愛は楽曲の数だけ存在するのだろう。THE BACK HORNの「セレナーデ」で息衝いている愛なるものの輪郭をなぞることはできるだろうか。

「セレナーデ」の開始と同時に、歪で軋むような音が一面を劈く。刺々しい音に象られた愛の歌は、凄まじい表現欲に覆われているようにも思える。この歌には不思議な引力が宿っているから、聴く者は電灯に近づく羽虫よろしく一心に吸い寄せられてしまう。

白鳥になれなかったバレリーナ
籠の中ヒステリックに踊る夜
白い胸は満月の様黒いバイオリンで
引き裂きたい
THE BACK HORN「セレナーデ」、2001年

情動的に紡ぎ出される旋律に心は奪われ、響き渡る音のなかにずぶずぶと没入していく。まるで絵画に描き出されたような情景が、巧妙な言い回しとともに書き表されている。白と黒との超絶コントラストは目がチカチカするような勢いを孕み、ひどく感傷を誘う。

ことあるごとに申しているが、THE BACK HORNのすごいところは、表現の幅広さでもある。「セレナーデ」のように艶っぽい歌、「花びら」のようにとても穏やかでやさしい歌、「刃」のように圧倒的な光を放つ雄々しい歌、これだけに留まらないけれど、彼らが織り成す楽曲は、これでもかと言うくらいに縦横無尽に広がる表現の幅をたたえている。それにもかかわらず、彼らの曲はどれもTHE BACK HORNから生み出された命であることをひしひしと感じさせもするのだ。収斂するところはTHE BACK HORNで、THE BACK HORNという概念が全曲の根幹をなしている。

たしかに同じアーティストなのだから、全曲の中核を担っているのは当然のことかもしれない。けれどもここで言いたいのは、どんな曲を耳にしてもTHE BACK HORNだと判る安心感に、知らぬ間に大きく支えられているにちがいない、ということだ。言うなれば、帰る場所を、言い換えれば自身の拠り所を、再確認する営みとでも言えるだろうか。「やっぱり、THE BACK HORNだ」と思えることは、何よりも幸せな実感なのかもしれない。

さて、また話が脱線してしまった。「セレナーデ」にもう一度照準を合わせよう。

パンクス物理学者を静脈にうてば
闇のひだを震わせ
僕の心臓は唄を歌う
同上

独特な雰囲気を漂わせる歌詞が、THE BACK HORNの強烈な世界をも絶妙に言い表している。「パンクス物理学者を静脈に」打つって一体どういうことだ。よく解らないものに対してじわじわと興味がわいてしまうのは、SAGAーサガーだろうか。この表現、何を言っているか解らないけれど、なんだかすごそうだ!とひねりもなにもない感想で恐縮だけれど、こういう歌詞に遭遇するたびにワクワクする気持ちが脈を打つのは事実である。

そして、これに続く「僕の心臓は唄を歌う」*3というフレーズも強い印象を残す。実際にこのフレーズは、セカンドアルバムである『心臓オーケストラ』や、「今夜心臓のオーケストラさ」*4と高らかに歌う「サイレン」にも通じる大切な言葉であることはたしかだろう。まさしくサイレンよろしく、警告音さながらに鳴り響く間奏は情動に一層の揺さぶりをかける。

血塗られたロマンスは
感傷まみれ吐き気がするほど
THE BACK HORN「セレナーデ」、2001年

ここの歌い方が狂おしいほどに大好きだ。今にも喉が引き裂かれそうなくらいに、切なさが込み上げてくるようなさまがとても好きだ。この叫びを苛烈と呼ばずになんと呼べばいいだろう。この熱に触れるたびに、滾々と湧き上がる気持ちに名前を付けたいと思う。

何度試みようとも、名状しがたい想いのほうがよっぽど鮮烈に残り、感情は言葉を超えていく。横暴にも、私は言語化できないことをちょっぴり悔しいと思う。けれども、直感は何よりも正直だから、これはこれで恒久的に大切にできればいい。そしていつしかぴったりの言葉が見つかれば、それもそれでとても素敵なことだと思う。

さて、最後に「舞い上がる羽根夢見」るのは、「白鳥になれなかったバレリーナ*5だろうか。白鳥から始まり、舞い上がる羽根―――白鳥が落としたものであろうか―――で閉じられる曲、この一曲のなかに秘められる物語性に感じ入り、甘美な調べが静寂に融けていくさまにうっとりと落ちていく

そして、これまで鳴り響いていた轟音が消え入るように、静かな音色とともに幕は下ろされる。最後の最後まで、美しさをたたえたまま終幕を迎えるさまは、深紅の薔薇にも似た気高さが君臨しているかのようにも思われる。この静寂を掻き消すように、続いて打ち出されるのは「サニー」の怒号。破裂しそうな音たちが合わさって、渦を巻いているような勢いにみるみるうちに呑まれていく。あゝ、これらの曲の連なりに、血、滾りすぎて蒸発してしまいそう。