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両手いっぱいの好きなものについて

THE BACK HORN 「孤独な戦場」|ギラついた目、生に喰らいつくしぶとさ

来ました、「孤独な戦場」。先日のライブのMCで「岡峰氏「コロナ禍のなか」って同じ意味が繰り返されている表現だよね。山田氏「金を募金しろ」とか?」なんて会話が繰り広げられていた、まさに当該の曲です。

「孤独な戦場」はTHE BACK HORNが手がける秀抜な表現の嵐。立て続けにぶっ放されるパワーワードがべらほうにぶっ刺さります。声に出して読みたい日本語として、ことあるごとに口に出してしまう。とりわけ「シブヤはまるで肉の海だ」*1という節は某所に行くたびに思い浮かべるワードで、肉の海がすぎるぜ・・・と毎回独り言ちている気がする。

そういえば『イキルサイノウ』って、なんとはなしに夏の歌が多いイメージを抱いていたけれど、実際に夏の歌と呼べるのは「光の結晶」と「幸福な亡骸」くらいで、案外冬の歌が多いことに気が付く。

この「孤独な戦場」に始まり、「羽~夜を越えて~」、「赤眼の路上」、「未来」が挙げられそうだ。ひょっとすると「生命線」も、冬かそれに近しい季節なのかもしれない。

季節が盛り込まれた歌というのは、特有の風情があってよい。生きていれば必ず迎えることになる季節が到来するたびに、その歌も折に触れては自然と呼び起され、無性に聴きたくなるからだ。そうか、今は夏だから、夏の歌の印象が強く残っているのかもしれない。

夏といえば、真夏に開催された夏の歌しばりのマニアックヘブンVol.12。追憶に耽ってしまう、あの夏の麗しき思い出。脱線。

人々の往来が多すぎるシブヤは、混雑を形成する人間自体に戦う気力があるわけでもないのにどこかしら殺気立っていて、入り乱れている。この擾乱に対しては、12月をひどく優しいものだと感じるのも無理はないよな

。私だってあの雑踏のなかでは同じように感じるに違いない。ここの歌詞だけは、大部分がピリピリと張り詰めている「孤独な戦場」のなかでも、唯一心の緩みみたいなものが感じられる表現で、なんだか好きです。

ああ だけど十二月がひどく優しい
THE BACK HORN「孤独な戦場」、2003年

とはいえ、大半は殺気立っている「孤独な戦場」。この曲に留まらず、THE BACK HORNの切実なダークサイドが描出された楽曲は端々に見受けられる。こうした暗然たる部分を飾らずに正面から形にしてくれるところもTHE BACK HORNの大きな魅力の一つだと思っている。

とりわけ初期の作品からは、下がり切らなかった溜飲が楽曲として昇華されていっている様子をそれとなく見て取ることができて、その結晶たちのあまりの美しさに私はひたすらにのめり込んでいる。

例えば「孤独な戦場」のなかで貫かれているのは、喧騒に対する苛立たしさだけではない。ここでは目をギラつかせ、中指を立てるような特盛の反骨精神とともに生き延びようとする姿勢が固持されているようにも思う。どういう状況であれ、生命に喰らいつくしぶとさ、みたいなものが感じられる描写は、THE BACK HORNだからこそ描き出せる世界だと、そう強く思っています。私は彼らの根幹にあるしぶとさにも心を撃たれたのでしょう。

俺は生き延びてやる 心の闇の中で
同上

この叫び声と歪んだ音の重なり。聴き手にビリビリと伝わってきます。荒々しさが最高潮に達してサビを迎えるわけですが、サビはどこか切なくも甘美なので、胸が締め付けられるような気持ちになります。

ああ、俺も悲しい歌が好きです。THE BACK HORNが創り出す悲しい歌が、一等好きです。

神様 俺達は悲しい歌が
気が触れる程好きです そして今夜
ギラつく摩天楼 隠したナイフ
意味もなく答えもない 孤独な戦場
同上

何かを賭して戦う場ではないにも関わらず、戦うことから逃げられない「孤独な戦場」。どこまで行ってもそこにはいかなる意味もなければ、何かしらの答えもあてがうことはできない。まさに暖簾に腕押しとも言えるような虚しさ、張り合いのなさに苛立ちを募らせていく様子がむき出しに表現されていて、痛ましいほどに鮮烈だ。続く以下の部分も、彼らの勢いが加速していくのが手に取るようにわかる。

肉と肉の間で窒息してく理性
俺が怖いのは ただお前らが人間だってことさ!
同上

「俺」とは対照的に、「肉の海」を形成する烏合の衆はけたたましい「ノイズの洪水」*2であって、それでも「俺」と同じ「人間」であるらしい。混沌とした有象無象の「肉の海」を怖いと感じる気持ち、よく分かるよ、本当に怖いよね、と「孤独な戦場」を聴きながら深く頷く。

ここでの叫び声も鬼気迫るものがあって聴くたびに圧倒されます。こんなふうに書いていて、「孤独な戦場」をまた聴きたくなりました。どれほど拙い文章であっても、一つひとつの感情を紐解きながら叙述してみると、新しい発見があるのはもちろん、照射した一曲一曲がさらに掛け替えのない一曲になるということを、私は今、痛烈に感じています。

さて、次に待ち構えているのは、12月から季節を進めた先にある、うだるような夏の終わり、「幸福な亡骸」です。都会の騒擾から一転して静謐な記憶が佇んでいるかのような「幸福な亡骸」。

曲調もさることながら、曲名もなんだか対になっているようですが気のせいでしょうか。「孤独な戦場」とはまるで対照的な「幸福な亡骸」の穏やかさが、まさしくカタルシスだと表現したい気持ちでいっぱいです。こうした振れ幅の大きさに何度も何度も撃ち抜かれてきたのだろうな。そしてこれからも。

ともあれ、新たな言葉を積み重ねるなかで、次はどんな気持ちを知るだろうか。何度も聴いてきた曲だけれど、楽しみです。

*1:THE BACK HORN「孤独な戦場」、2003年

*2:同上