「リムジンドライブ」は、はちゃめちゃ陽気にポップなのか、はたまたプラス側の極を突き抜けたがゆえの狂的エクストラハイなのか、にわかには判断がつかない楽しい曲である。見事に「脳みそ撒き散らして」*1いる感じが漂っている。やはり、この曲はどこまでも突き抜けた狂的エクストラハイなのかもしれない。
ノリノリになるって、昨今も使うワードなのか些か怪しいけれど、「リムジンドライブ」は本当に「ノリノリになる」という言葉が合う曲だと思う。
純粋に、ただ楽しい歌というのは、もしかするとTHE BACK HORNの楽曲のなかではレアかもしれない。
無論、彼らの歌が楽しくない、と言いたいのではない。彼らの歌にはいつもいつも飽きることなく情緒が狂わされるので、楽しさよりも揺れ動く情緒を感じがちなのである。
そう思うと、ただ楽しいということに没入し、笑顔になれるのは貴重に思えてくるのだ。
とはいえ、歌詞に目を向ければ結構ヘビーだから、純粋に楽しいと言ってしまうのは少し語弊があるかもしれない。が、この歌は「彼の死」という悲しみを支柱にしているにもかかわらず、その片鱗すらも見られないくらいにどこか小気味良い。
どこまでもさっぱりしていて、潔くて、悲しいはずなのにそれを「幻」なんて言ってしまうしなやかさが印象的な「リムジンドライブ」。この歌は、悲しみのない国には何も無いだろう、なんて強めに言い切ってしまうくらいにしたたかなのである。
これは、悲しみをエンターテインメントにしてしまう豪胆さ、とも言えるかもしれない。この曲を聴いていると純粋に楽しいと感じるのは事実で、ライブでも「ヒューヒュー」と口笛をカマしたくなるくらいに楽しいし、「アメリカンロケンロー」を感じる。
ちなみに私は「アメリカンロケンロー」が何たるかをミリも知らない。なんとなくこれが「アメリカンロケンロー」なんだな、と思っているだけなので、これが「アメリカンロケンロー」なんだなァってぬるい目で見守ってほしい。
さて、おふざけはこれくらいにしよう。
これほどまでに楽しさが溢れる「リムジンドライブ」。「道交法なんて守るわけねえ」とかかわいらしく悪態をついているのに、やっぱり少し切なさを帯びた情緒の存在に気付いてしまうから、THE BACK HORNは徹頭徹尾うつくしい。
それは例えば「星の降るがごとき夜」*2とか「夜をぬけ出して走ったあの日」*3という部分に表われるような、どうやっても頭角を表してしまうやわらかな情緒である。
ところで、「リムジンドライブ」の次の部分を聴くと、まったく別の曲にもかかわらず連想してしまう歌がある。
隣の国で戦争起こっても私はそ知らぬ顔で
スクランブルエッグにトースト焼いてる
THE BACK HORN「リムジンドライブ」、2000年
そう、それは「シアター」である。
今頃世界のどっかで血の雨が
降り注いでるけど僕は知らないよ
松田晋二「シアター」、2007年
曲調も時期もすべてが異なる2曲。これらが数年の時を経て交差するように思うのは、どちらも知っているのに、知らないふりをして、他の何かに没頭しているからであろう。しかも、「知っているのに、知らないふりをして」いるものがそれぞれの曲で共通している点も、そうした想像をかきたてると言えそうである。
それでは、それぞれが没頭しているものとは何だろう。「シアター」はもちろん映画そのものである。これに対して、「リムジンドライブ」では明確な何かは示されていない。が、強いて言えば、おそらく「私」の人生そのもの、とでも言えるだろうか。
突き詰めれば「シアター」だって「生きるってことに恋をしてる」*4のだから、もしも「リムジンドライブ」で「私の人生」に焦点が当てられているのだとすれば、「己の人生を生きる」ということがこれらの曲において、抽出される共通項とも言えそうである。
そもそもTHE BACK HORNの主軸には「生きること」が据えられているのだから、これは言うまでもないことかもしれないが。
今さらながら、語り手である「私」の強さがいい味を出している。この「私」の性格はなんとも竹を割ったようである。口調なんかも結構雑で少し乱暴で、有り体に言うと「なんか強い」と思わせるような印象を持っている。くだけたような人柄というか、気取らないところが見受けられるというか。
正義も政治も人の苦労など私にゃちっともわからねー
ましてや死んだ男のことなど
THE BACK HORN「リムジンドライブ」、2000年
「麗しき人」が「血しぶき」を上げて死んでしまったのを見ているにも関わらず、このあっけらかんとした様子。これはこれでそれなりに狂気を感じる。そして極めつけはこの最後である。
あれから30年経ったけれど変わらずそ知らぬ顔で
ちょっぴり甘めのカレー煮込んでる
レットイットビーなんてトボけた生き様 ババアになっても変わりねー
世界が平和でありますように
同上
「スクランブルエッグにトースト焼い」たり、「ちょっぴり甘めのカレー煮込ん」だり、生活感がにじみ出ているこの歌。ある意味で、この歌には現実に引き戻すだけの引力があるとも言えるだろう。
そして、ここの「レットイットビー」の発音。この発音がキレキレで、ものすごく語感が良い。歌詞ではもちろん「レットイットビー」という表記だけど、カタカナのまま発音していないところがイケイケでとっても好き。
トボけた生き様、と言いながらもそれをババアになっても貫いているところが愛らしい。世界平和を祈るのは、これくらいポップなくらいがちょうどいいのかもしれない。