メメント

両手いっぱいの好きなものについて

自分を甘やかしたい話

事前に心を整えておくと、スッと腑に落ちて、すっくと立ちあがることさえ、できる気がするのだ。たとえそれが、選ばれなかったことを突き付けられた直後だとしても。そうは言っても、落ち込まないわけではない。とにかく自分を甘やかして、なだめているのだから。「選ばれないことなんて今に始まった話じゃない。うん、しょうがないよね、いや、しょうがあるんだ、ふざけんなよな、まったくさ…。」そんな具合に支離滅裂でもいいから、自分の主張を建前で捻じ曲げないことが肝要だ。

髪の毛が伸びるみたいに、どうしても時間が必要なことがある。いつぞやの傷が癒えるのも、痛々しい記憶が、たくさんある思い出のうちの一つとして、腑に落とせるようになることにも。過去と和解するためには、やはりどうしても、時間が経過しないことには如何ともしがたい、ことが多いのだと思う。後ろ髪を引かれるくらいに髪の毛が伸びることも、いつか笑えるようになる日が来ることも、きっと。

後悔しないわけではないと思うのだけど、「あのとき、ああしておけば、よかったのだろうか…」なんて後ろを振り返ることはほとんどない。だから反省を活かせないのだ!と言われればそれまでだけれど、ジメジメしているのは物理的にも精神的にも苦手なの

からしょうがない。それに加えて飽きっぽい性分だから、そういうことにしておこう。

そういえばドイツ語で後悔って"bedauern"だけど、語の成り立ちからみると、「とにかく続いていること」というのが直接の意味なのかな。"be"って接頭語はたしか、もともとの語にさらに付け加える~、みたいなやつがあったと思う。この間教えてもらったことなんだけど、危うい。もう終わっているにもかかわらず、後ろを振り返らないではいられない。後になって悔やむこと、それはいつまでも続くことでもあること。鷲田先生がよくいろんな外国語を引き合いにして、言葉の意味を説明してくれるのだけれど、知らないことだらけでいつも目から鱗が落ちる。外国語のある単語の成り立ちが紐解かれるだけで、随分とワクワクできるのだから、得な性格だと思う。

対象はなんでもいいけれど、割り切れない事象に対して、自分が理解できる形式で自分なりの回答を持っておくことが、意外な助け舟になるのだと思っている。私は自己表現力に乏しくて、絵を描くことも音楽で表現することも諦めた口だけど、言葉だけはかろうじて手放していない、と思っている。割り切れなくていい、理解できなくても、納得できなくてもいい。それでも、自分なりの言葉を形成し、持ち続けること。本や音楽からあらゆる事象から見つけ出して、自分が解る方法で、きちんと後片付けをすること。そうやって過ごすことで、難儀な過去や気難しい現在とも、少しずつ折り合いをつけられるのだと思っている。

絶賛甘やかし週間が過ぎるので、些細な外的刺激に落ち込んだりもするけれど、ふり幅が大きいくらいがしなやかな精神なんだって思うことにして、今日は酒をあおる、決めた。