メメント

両手いっぱいの好きなものについて

THE BACK HORN「マテリア」|ままならない心

いろいろあって随分と長い間止まってしまった。久しぶりに書いてみたよ。「マテリア」っていい曲だなア。深く深くため息をつきながら、やはり私はTHE BACK HORNがどうしたって好きなのだと、改めて思えたよ。弁解はこれくらいにしよう。

深呼吸をするような心の安寧を体験した「夏草の揺れる丘」から一変し、おどろおどろしい前奏とともに妖艶な空気が立ち込める。ほんのすこしだけ「ワタボウシ」が始まるときの模糊とした感じにも似ている。

「夏草の揺れる丘」が描き出す情景とは打って変わって、操り人形が今にも動き出しそうな不思議な雰囲気が漂っている。「マテリア」のお出ましである。

「セレナーデ」や「プラトニックファズ」、それから「マテリア」の次に待ち構えている「ディナー」にも見受けられる蠱惑的な雰囲気に今にも酔いそうである。さながら、瓶が割れた香水のようにガツンと苛烈に香り出すかのように。

ところで「マテリア」の語源は何であろうか。聞き馴染みのある言葉で言うと「material」という英語を彷彿とさせる。「materia」そのものはというと、ラテン語で「物体」や「物質」などを意味するようである。比喩と見れば「マテリア」という曲のなかでは「玩具」とも意訳できるかもしれない。

言葉の成り立ちについての詳述は専門家に任せるとして、改めてこの歌について見てみたい。

今にも動き出しそうな人形、さらに言えば傀儡を思わせる規則的なリズムは不気味さを醸しながらも心地がよい。前半部分は特に無機質に淡々と歌われているところが「物質」を表しているようにも思われる。

「バラ色の部屋」*1とか「ワインの花」*2とかいう表現があるから、この歌は深紅を纏っているようにももちろん思えるのだが、核心にあるのは、ガラス細工のように透明な心であるように思えてならない。

もしかすると「シャンデリアの雨」や「ガラスのオブジェ」という言葉たちによって、今にも壊れそうで繊細な玻璃が連想されるのかもしれない。いずれにしても、見る角度や状況によって違ったふうにも見えるような表情を持つ歌に弱い。

あぁ 出会いという 運命の美しい鍵は
そう 愛の消えた心までも こじ開けてしまう
THE BACK HORN「マテリア」、2002年

出会いについて語られる一節は、芳香が漂うように甘美である。否応なしに感応せずにはいられないことを、この「出会い」というものによって思い知らされる。たとえ「愛の消えた心」であったとしても、心が震えてしまうような出会いが存在しているらしい。

一般的に〈別れ〉には何かと理由がつきまとう。が、それに対して〈出会い〉は理由がつけられないことも多い。何の因果か、何かしらの巡り合わせの結果、お互いの人生が交差するのである。

〈別れ〉によって引き裂かれそうになる心の痛みこそ、情緒をひっきりなしに刺激する。予期していようといまいと、〈別れ〉がもたらす裂傷はどうにも受け容れがたい。〈別れ〉というのは、刺激的というよりは胸を衝かれる出来事だと言える。

それに対して〈出会い〉というのは、操作できない事象である、という意味においては刺激的であることはおそらく間違いない。

それでは、「マテリア」のなかで、〈出会い〉という強烈な刺激によってこじ開けられた心の顛末とは、一体。

一般的に物質の対義語は精神とされている。熱が高まるかのように切実に音が紡がれるさまは、物質とは対極にある情感が込み上げてくるのにも似た勢いを感じる。物質に宿る感情とでも言おうか。さながら、割り切れない感情が疼きだすかのようである。

「マテリア」という曲の妖艶さは、光に向かって乱舞する蛾のようにはためく。蝶のように悠がなのではなく、蛾のように一心不乱に羽ばたく姿のほうが個人的な想像に近い。

そういえばヨナクニサンだったか、クスサンだったか失念したけれど、彼らのような大きな蛾は、成虫になると口が退化し絶食を余儀なくされるらしい。

変態ののち、4日から1週間程度で餓死するという彼らの顛末を見かけて、なんとも情感に訴える生涯であると思わずにはいられなかった。

とはいえ、彼らにとってはそれがきっと当たり前なことで、それこそが彼らの生涯で、人間から見た勝手な情緒の押し付けでしかないことは解っている。

それでも、このままならさが、心の底で疼くのだ。

蜘蛛の巣に絡めとられて身動きが取れない蝶だとか、電灯に吸い寄せられて身を焦がす蛾だとか、そういうままならなさが「マテリア」からもそこはかとなく連想される。こうした〈ままならなさ〉を彼らの音楽を通じてジリジリと灼けるように感じることになる。

言葉で表しきれないところに確実に存在する情緒。言葉で表せたとしても、釈然としない想い。ままならさ、あるいはもどかしさが喉の奥で震えているようである。

〈出会い〉によって否応なく開けられてしまった心は何を知ったのだろう。もしかするとそれは、身体の温みなのかもしれない。

心臓の温もりを 体に残して
THE BACK HORN「マテリア」、2002年

心臓の温もりだって、触れなくっちゃ知る由もなかった。体に残った、あるいは残された温もりは幸福だろうか、それとも呪いだろうか。

時間が経ってみないことには、判断できないことかもしれない。

*1:THE BACK HORN「マテリア」、2002年

*2:THE BACK HORN「マテリア」、2002年