メメント

両手いっぱいの好きなものについて

THE BACK HORN「ハロー」|やさしくて、かなしい

かくして私にとってTHE BACK HORNの1枚目になったアルバムが、6thのセルフタイトル『THE BACK HORN』である。なかでも「ハロー」は、特別好きな曲だ。

天文学辞典によれば「ハローとは、渦巻銀河の円盤を包みこむように丸く分布している星の成分」であり、「ハローには球状星団が多数存在しているほか、ガスも広く分布している。飲み込まれつつある矮小銀河が見つかることもある」らしい*1

THE BACK HORNの「ハロー」には、宇宙にかかわりのある単語があちこちに登場するので、呼びかける意味でのハロー以外にも関係があるのだろうか、なんて考えたこともあった。もともと私は、宇宙や星の話が大好きなので、地学の資料集をめくりながら、胸をときめかせていた。無数の星たちだけでなく、矮小銀河もガスも分布する場所が、ハロー。それはさながら、私たちが生きる混沌とした世界のように、星々のるつぼなのかもしれない。

おそらく今後も何度か告白することになるだろうが、私は菅波栄純の書く詞が一等好きである。生活のあちこちにあふれる悲しみ、喜び、憂いなど、当たり前のように転がっているからこそ、言葉にしがたい遣る瀬無さを、腑に落ちる形でもって直球に表現してくれるのが菅波栄純だと思う。だから聴き手は、そうした真っ直ぐな想いを生身で受け取ることになる。破壊力がひとしおであることは、言うまでもない。

眩い星々の煌めき、遥か遠くに輝く銀河、無重力を駆け巡る流星、土星の輪っかで浮かびたいという夢。そうした眩しいものたちが空気を裂いてチカリと光るような、楽しげなメロディーが印象的な「ハロー」。しかし菅波栄純は、楽しさだけでなく、生活のなかに染み込んだ哀しみをも語っているように思う。

切れそうで切れないゴムみたいな毎日
命を活かして生きるってどんな感じ? 
菅波栄純「ハロー」、2007年

これは私にとって、切実な問題である。日々生きていくなかで、まるで「切れそうで切れないゴムみたい」*2だと感じることは、残念だが少なくない。張り合いがない毎日。朝と昼を同じようになぞって、二酸化炭素を吐き出すだけの24時間。生きている実感が、よく解らない…。

突き付けられた問に容易に答えられる術などなく、「未来や希望や救いは何処にある

の?」*3とここではないどこかに、想いを馳せる。もっと、ちゃんと生きることができたらいいのに、と嘯く。こうして抱えたいくつもの想いを、きっとこれからも揺らしていくのだろう。「昔の侍」*4のように、とまで言わないが、「真っ赤な鼓動」*5を鳴らしていると、思える日は果たして来るのだろうか。

 少々脱線したが、「やさしくて、かなしい。」それが「ハロー」に対する私の印象だ。相反する気持ちが綯交ぜになることは、けっこう、よくある。でもなぜ、やさしいにも関わらず、私はかなしいと感じてしまうのだろうか。

そもそもやさしいものをやさしいものとして受け取ることができたほうが、よっぽど温かいことだと思う。良くも悪くも歳を重ねると、いっしょくたにできないことが増えていく。割り切っても割り切れず余ってしまうこと、でもそうした余りには極力執着しないこと、ちょっとしたライフハックなるものを見つけたりもする。この「やさしくて、かなしい」というのも、その一例なのかもしれない。

唐突だが、かなしい想いを知っている人は、やさしい。私はそう思う(なかには悲しい想いを知っているにもかかわらず、それが悪い意味で起爆剤になって、やさしくないひともいるのだが)。

「ハロー」には、その調べ、その語りのいたるところに、哀しみを知っているからこそのやさしさを感じる。それは「聞こえていますか」*6としきりに呼びかける声であり、「心のトビラをノックするメロディー」*7そのものでもあるのだろう。呼びかけることは、他者の存在があってこそ成り立つ行為である。「心のトビラをノックする」*8ことだって、他者に肉薄しようとする様がうかがえる。これらの行為は相手があってこそ成り立つとはいえ、それらが受け取られることだけを意味するのではない。なかには拒絶という形で受容されることだってある。だからこそ、呼びかけることには恐怖が伴うと言えるかもしれない。

ところで音楽という形でもって発信してくれることのすばらしさの1つは、受け入れやすいということではないだろうか。たとえ他者が目の前に立って私に向かって呼びかけようとも、それに応える気にはおそらくなれない。茶化してしまうかもしれない。

しかし、それが音楽だから、差し伸べられた手を、死ぬ気で掴もうという気持ちになる。その発信源は、THE BACK HORNというまぎれもない他者であるにもかかわらず。呼びかけることを恐れずに、ハローと声をかける温かなやさしさ、ときには遭遇する拒絶とそれに伴う哀しみ。相反する想いを携え、それでも絶えることない彼らの声、それはすなわち一条の光、それらが救いなのだと実感する。

「心のトビラ」*9をこじ開けるでもなく、叩き割るわけでもなく、ノックするという控えめで、それでも存在感のあるやさしさ。「心のトビラをノックするメロディー」*10に私はいつだって救われている。

*1:天文学辞典 » 銀河ハロー

*2:菅波栄純「ハロー」、2007年

*3:同上

*4:同上

*5:同上

*6:同上

*7:同上

*8:同上

*9:同上

*10:同上