メメント

両手いっぱいの好きなものについて

かけがえのない無意味について

私情により、心にぽっかり穴が開いた。ほかでは埋められない代物だ。心に開いた穴はいつだって、代替品で埋まるはずがない。だから、開いた穴はそのままにして、耳に2つ、通算13個目の穴を物理的に開けた。

開いた穴をそのままにして、開けた穴のケアをする。そうやっていくうちに、開いた穴が閉じずとも、疼かないまでに癒えることを想って。余談だが、流血がなかなか止まらない。しかし痛みはないので放置している。見た目はひどいなんてもんじゃない。髪の毛で隠れるとはいえ、これで平気な顔して過ごすのだから、人間というのは演技がうまい。内心は、気が気じゃないほど動転しているのに。という話はさておき。

それは、「解る」と「出来る」には大きな隔たりがあることを改めて思い知らされた出来事だった。おそらくお互い百万回解っていたけれど、百万回出来なかった。不完全な人間同士が不完全な手を取り合う、でこぼこした愛おしさ、それはまるで僕たちを描いた縮図だった。

「これで最後」と言って、僕たちはいったい何回最後を迎えたのだろうか。思い返せば、僕たちの関係は、大半が「最後」だったような気がするのだった。しかし、そんなオオカミ少年はもうどこにもいない。文字通り、終止符は打たれた、否、私がそれを下したのだ。

路傍に転がる石のように、それはありふれた情景、そして特筆すべきことがない事柄。それでも私が言いたいのは、それが私にとってはかけがえのない無意味であった、ということだ。語ろうと思えば、それを肴にいくらでも管を巻けるにちがいない。

だからといって、それが意味があるということを裏付けるわけではないし、こうした事象は、「私にとって」こそ掛け替えのないことであって、他者にとっては、よく聞く話の類でしかない。それはそれとして、私がここで光を当てたいのは、このかけがえのない無意味についてである。

軌跡というのは不思議なもので、それは霞むほど遠く向こうにあるはじまりから、たしかに今日まで一直線に続いているのだ。「「時」を歴史と見ず、「距離」を歴史と見るロマンチシズムによって、少年は自らを形成してゆく」*1と言ったのは寺山修司 だが、私はかのはじまりを、随分遠くに感じるのだった。ちっぽけで、でもひどく愛おしい「歴史」に距離を見出し、そこから形成された数々は、私にとって毒にも薬にもなってしまったように感じる。

取り立てて特別なことは何もないのに、ひどく特別なことばかりだったのだと、今となっては、今だからこそ懐かしく思う。たとえば、美味しいご飯を食べる。たとえば、体温を感じる。たとえば、他愛のない話で笑う。たとえば、隣で眠る…。

田中和将の言葉を借りるならば、それらはまさしく「すべてのありふれた光」だった。これらに関するさらなる意味づけは、やろうと思えばいくらでもできるにちがいない。同時にそれは、私にとって「そうあってほしい」というささやかで、切実な願いにもなるのだろう。

しかしそうすると、こうした出来事は美談になってしまうように思うのだ。これは決して単なる美しき思い出などではないし、このことを美化して遺す気はさらさらない。だからこそ私は、この記憶たちをかけがえのない無意味として照らし出すことで、ここにそれらの墓標を建てようとしたのである。

「花の嵐にたとえもあるさ さよならだけが人生だ」と井伏鱒二は語る。寺山修司がよく引用する詩のひとつだ。

吹き荒れる風に散りゆく花のように、たとえ盛りを迎えたとしても、いや、迎えなかったとしても、散ってしまう花があるように、別れが突然訪れることはある。出会ってしまえば、どういう形であれ、最後には必ず別離を迎えてしまう。その最後がいつになるか、解らないだけで。

突然一方的に告げられる終わりがままあることに対して、自ら「終わること」を意識したうえで終わりを迎えられたのは、幸せだったと痛感する。そもそも、お互いの意思を尊重したうえで「終わり」の決断をすることが常である、という常識は度外視して。とはいえ、終わりがあることに幸せを噛み締めるとは、いかなる皮肉だろうか。

たしかに「さよならだけが人生」なのかもしれない。それでも、さよならをする人やものがいてこそ別れが経験されうるとするならば、別れの前提になるのは、出会いである。そもそも散る花がなければ、花の嵐は起こらない。

だから私は、花が咲くのを待つのだろうし、それだけに事足らず花を咲かせもするのだろう。「すべてのありふれた光」ひとつひとつを携えて、本当の夜を超えて、本当の痛みを知って、弱さや脆さを肯定して。

*1:寺山修司『幸福論』、角川書店、2004年