メメント

両手いっぱいの好きなものについて

よくある空しい話

これはありふれたよくある空しい話。

不定期ではあるのだが、「生きていてはいけない」という確信に襲われることがある。

希死念慮というよりは、或る種の義務が腑に落ちている状態。大した破壊衝動はないから、身体に空いた穴が増えるくらいが関の山だ。本当に、別に、どうってことはない、感想、あるいは悟り。

それでも、自分が自分を否定することしかできないとなると、ひたすら苦しくて、怖い。デストルドーと呼べるほどの欲動はなく、否定し続けるだけの運動、己に対する果てしないアンチテーゼ。

論文を書いていたある日、アパートを飛び出して、真冬の日本海に行こうとしたことがある。街灯もまばらな真っ暗な夜道を、無心に進もうとした、それでいいと思っていた。結局、明かりに照らされたスーパーに吸い寄せられるように入って、350mlの缶ビールだけ買って、凍えながら飲み歩いて帰路についたのだけれど。

ありふれたよくある空しい話なのだけれど、普段は沈潜している確信が発露することがある。

これを誰かに話すことで、その誰かから慰めてほしいのではないし、死ぬな、と言ってほしいのでもない。

ただ吐き出して楽になりたいだけ、それだけなのに、それだけのことに、絡めとられて身動きが取れなくなる、ムカデも自分の足に躓くことがあるのだろうか。

そんな義務感を抱える日々を通り越して、明日の約束が楽しみで、楽しみで、早く明日にならないかなァ、なんて気持ちが生まれた、今日が、あまりにも稀有で、暖かな陽射しと晴れやかな空も、なんか好いなァ、って思えた、そう、それだけの話。