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両手いっぱいの好きなものについて

THE BACK HORN「プラトニックファズ」|百面相の表情に匿われた艶

先日、AI画像生成サービスのMidjourneyで遊びまして、その際に「プラトニックファズ」という名前で絵を描いてもらいました。それがこちら。

(出典:Midjourney)

音楽が好きではあるけれど楽器や機材の沼にははまらなかったゆえに、「ファズ」ってエフェクターの種類?ですよね?というレベルなのですが、「ファズ」という単語にはそもそもは毛羽立つとか、綿毛とか、曖昧になるとか、そんな意味があるんですね*1

本来の意味をまったく知らずにいたので、なんかぼやぼやした綺麗なほやほやが描かれているなァ!なんて暢気に思っていました。実際の意味を知ってなるほど納得(ようやくが過ぎる)。歪んだ音が絵になったらどんな表情を見せてくれるだろう、とソワソワしていたのですが、自身のなけなしの英語力ではAIにちゃんと指示できなかった模様です(しょげ)。忸怩たる思いではありますが、これはこれでとても美しいので、趣旨とは外れていると思いつつも、個人的にはなかなか気に入っています。

しかし、こんな絵が1分足らずで完成するなんて驚愕の技術です。高性能なシステムに追いつけない人間が愚かしくて切ない。無駄に遊んでしまったので、保存できたのはごく一部ですが、その曲の順番が回ってきたら、またこちらに貼ります。あ、でもそのうちの一つは「惑星メランコリー」なので、そのうち追記します。

それはそうと、こうやって文字に表すたびにそれぞれの歌詞を改めて読み、楽曲も単体で聴くわけだけれども、毎回「あれ…こんなにかっこよかったっけ…」と立ちつくしてしまう。どの曲も年月とともに聴き重ねた歌なのに、不思議なことに新鮮な感動とたしかな多幸感を聴くたびに享受している。

というわけで6曲目の「プラトニックファズ」。空間を振動させるように図太い音の弾丸が歪みとともに掻き鳴らされるさまが快感である。ライブで披露される4人の暴れっぷりは見ていても聴いていても愉悦以外の何物でもない。

プラトニックファズ」を聴いていると、山田将司の声が魅せる表情の多種多様さに思わず舌を巻く。雄々しさのなかを這いずりまわる艶めかしさはキツめの香水のように芳烈で、ガツンと頭に響く。百面相がごとく打ち出される声音がなんとも蠱惑的で、私は心の底から陶酔していることに気付く。ああ、病みつきになるのも無理はないだろう

随分と前から、この玉虫色の表情には虜にされているんだ。そしてこの多彩な声と絡み合った歪んだ音は、その場の空気を当然のように掌握する。まさに「頭がくらくらするぜ」と言いたい。

ひょっとしなくても「プラトニックファズ」ってものすごいかっこいい曲ではないか!今更ながらにその類まれな佇まいに息を呑み、ゆらゆら揺らめく情緒は絆され続ける。あゝ、ライブで聴きたい。ひとまず、KYO-MEIツアー~リヴスコール~に収録されているプラトニックファズを聴いて愉悦に浸ろうね。ライブの臨場感も味わえるしさ。

ところで、今さらながらで恐縮ですが、「毒蛇回路を怨にして続けよう」*2って表現、すごくいいですね。てっきり「ONに」だとばかり思っていたので、今頃になってようやく凝らされた趣向に気付くという…。奥が深すぎるTHE BACK HORNの世界。こんな新発見ばかりですが、横暴にも、私はこの世界に可能な限り肉薄したい。

退屈で窮屈な男
鬱屈して屈折した女
脱皮してく 今夜 蝶になる
THE BACK HORNプラトニックファズ」、2003年

終盤にかけて一層沸き立つこの部分は、何度聴いても感情の昂ぶりを感じる。これまでの鬱屈した情調を踏襲しながらも、あたかもそこには赤い紅をさしたような艶やかさが充満するのだ。そして最後を飾る「蝶になる」*3という部分。ここで発せられる妖艶さとは対照的な音に―――芯まで歪んだ音に―――ビリビリと全身を貫かれる感覚に溺れていくのである。歪の世界へようこそ。

こうやって今にも破裂しそうに歪んだ音を聴くと、THE BACK HORNらしい音の連なりだと感じて、なんだか落ち着くんですよね、不思議ですね、こんなにジャカジャカしているのに。

こんなふうに感じるのは、どれだけ年数を重ねようとも、どれだけ進化(深化)しようとも、THE BACK HORNはいつまでもTHE BACK HORNだと思わせてくれるからなのかもしれません。勝手な言い分ですが、いつまでも変わらない部分を核にしながらも新たな変化を重ねていく、というような不易流行を目の当たりにしていると思えてならないのです。

今だからこそ聴きたいと思って聴きかじること、何とはなしに聴いていて、ふと気付いたりすること。そうした絶え間ない営みのなかで感じてきたこと、あるいは新たに見つけたことについて、思うままにしたためられたらいい。

とはいえ、どこまでいっても、おそらく心の内をすべて語ることはできないのかもしれない。感じたことと言葉にすることとの間には、もしかすると途轍もない距離や溝があるのかもしれない。この隔たりを少しでも緩和することができれば、と思う。

表現しきれるなんておこがましいけれど、自分で感じたことを言葉で表すことができれば、苦しみは和らぐかもしれない。そうやって感情と向き合って、光を照らすことができれば、もしかすると供養される感情だってあるかもしれない。だから、書くことは、苦しみを伴う呼吸であり、排出でもある。綺麗じゃなくてもいいから、内側をできるだけ詳らかに叙述できればいい、ただ、そう思う。

プラトニックファズ」、この歪の世界のなかで見えた、まっすぐな心。このまっすぐな心を携えて、次に言葉を綴るは「生命線」。聴きたいなあというタイミングで聴ける「生命線」の破壊力たるや。もしかすると、一番泣いてきた曲かもしれない。そんなこんなで、次なる深淵を覗きに行ってまいります。

*1:https://eow.alc.co.jp/search?q=fuzz

*2:THE BACK HORNプラトニックファズ」、2003年

*3:同上