メメント

両手いっぱいの好きなものについて

世界の美しさについて

始まりを随分遠くに残して、ここまで辿り着いたように思う。 思い返したところで、そこにあるのはよくある生活のよくある日常、それでも、必死になって「私」にしがみついてきた毎日だった。いつの間にか遥か彼方に置き去りにした自分をもう一度抱きしめるために、ふらり彷徨っていた日々だった。自分を忌み嫌うことがあまりにも容易かった私には、自分を正真正銘愛することがひどく難儀で、この長いトンネルが早く抜ける瞬間をただただ待っていた。そうは言っても、誰もその地点へ連れてってくれなどしない。解っていたけれど。

血の跡みたいなものを辿って、物理的にも精神的にもいろいろなところを辿って、色とりどりの思い出の欠片、忘れ去ろうと追い込んだ悲しくて大切な気持ち、何度だって再認識できる愛、軌跡のあちこちに散見される愛や悲しみの数々に光を当ててきたのだと思う。私が私として生きることを諦めず、私に問うことを諦めることなく。

この1年は、ポケットに飴玉を忍び込ませているようなやさしさに溢れていたように思う。ポケットのなかにあると、なんだかうれしい飴玉。ポケットに手を入れたときに、それがいつでもあるような、セレンディピティ。そういうやさしさに包まれながら、私は世界と自分自身との均衡を保ってきたのだ。毎朝家を出るたびに「明日はまた別の日」とひとりごちていた日々もいつしか過ぎ去って、自分の足で前かどこかに歩んでいるようだ。

何か大きなことを成し遂げたわけではないが、私が私を自分の味方に漸くつけられたこと、その事実が心を穏やかにさせてくれるのだ。

これから何処へ行くのだろうか。ちょうど1年前に見た、夜と朝が混じる場所。深い群青と鮮やかな朱。あの時得た確信。私の行く先は何が何でも、悲しいほどに明るく、切ないくらい穏やかで、何度言おうと足りることのない本当のありがとうで充溢しているにちがいない。