メメント

両手いっぱいの好きなものについて

まなざしの行方

心配しようにもすべては憶測であり、相手の心情を推し量ってみようにも結局のところ自分の想像の範囲を超えないから、自分との会話になってしまう。相手が感じることも、考えていることも、やっぱりさっぱり判らない。なので、これは、私が勝手ながら烏滸がましくも感じたことを前提のうえで、そのなかで強く感じたことについて書き残したものであることをあらかじめ断っておきたい。

ライブが終わると、今日あったことを忘れないように簡易的なメモを残している。酒気帯びで記録することもある。そんなふうに酔いどれながらも書き残していた自分のメモには、喉について言及している部分が多く見受けられる。迷いを感じながらも、目を逸らすことができないことなのだろう、どうしても。

喉の調子がよくないのかな、とはじめに思ったのはいつだったろう。あまりよく憶えていない。正直に言って、触れていいのだろうか、という思いはあった。けれど、毎回のライブがやっぱり楽しくて、楽しそうにしている皆を見るのもうれしくて、ただ、それだけで、そのままライブの記録をつけるときには、楽しい気持ちばかりが先行して、結局一度も触れたことはなかった。

ライブは本当に毎回ものすごく楽しい。そのたびに底知れないエネルギーをもらっていて、それが明日を生きるための糧になっていることは言うまでもない。とにもかくにも、THE BACK HORNのライブは、そもそも彼らの音楽は、自分にとってのアサイラムで、掛け替えのない時間で、私が生きるために必要な生命線である。改めて形容しようにも、これ以上なんと言ったらいいのかしっくりくる表現が見当たらない。

今考えていることを言語化しようと試みているけれど、言語になるよりも先に涙になってしまう。この感情は何なのだろうか。身体中に棘が刺さったみたいにチリチリと痛む気持ちは、何と名付けることができるだろうか。

無理をしないでほしい、という言葉が口を衝いて出そうになる。けれども、私が本当に言いたいのは、たぶんそういうことじゃない。無理をしてほしくないのは大前提としてもちろんある。けれど、根本的にもっと大切なこと、言いたいことがあるのではないかと、「無理をしないでほしい」とこぼしてしまったときに思って、しばらくずっと考え込んでいた。

相手が感じる痛み、悲しみ、はたまた喜び。私は、感情の機微や場の雰囲気をそれとなく察知することには定評があるが、それを理解することが苦手だ。相手の立場になって物事を考えることなど、最も苦手なもののうちにランクインするくらいにできない。相手が何を考えているかを考えたところで、その考えは私の考えであって、相手の考えではない。自分の想像の範囲内に棲息している虚構の相手、つまりそれは自己が投影された他者らしきものであって、実在する他者ではない。

こういう考えが根本にあるから、私は、別々の生き物がお互いのことを完全に理解することはできないと思っている。自分のことだってよく解らないことだらけなのに、他者のことなんてなおさら解るわけがない。ただ、だからといって捨て鉢になっているわけではない。お互いの違いを受容しながら少しでも分かち合えたらいいと思うし、私自身そうでありたい。

とどのつまり、お互いが理解し合うのは不可能だということを踏まえたうえで、それでもやはり相手を知りたい、相手に歩み寄りたい、という意志が私にはある。一言でいえば、前向きな諦観を引っ提げているのだ。的外れなことを言うのは慙愧に堪えなくて、自分の気持ち悪さも重々承知で、自分の阿呆さ加減にほとほと呆れるけれど、それでも。

山田将司のことがただ心配で、心配に思うすべては私の独断によるもので、山田将司の気持ちを勝手に推し量って、その内容に勝手に胸を衝かれるという、究極の自虐兼エゴをぶちかましていて私は救いようがない馬鹿者だ。作者の意図を300文字以内で答えよ、というよくある設問に回答するような所業に似ている。それは作者でない人が意図を問い、作者でない人が答えること、すなわち真意を掴めずに表層だけなぞることにも似つかわしい。

そうだと解っていても、勝手な物言いにさらなる勝手を塗り重ね、憚ることもせずに主張しますが、私はね、あなたが抱える地獄の一片さえも知ることはできないし、あなたが何を抱えているかも解らない。どんな唄でもいい、どう歌ってもいい、声が涸れても、ただあなたが山田将司で在り続けてくれれば、それだけでいい。それさえも手前勝手なお願いなので、陳謝しますが、実のところ、ずっとずっと、そう強く思っている。

山田将司が歌う唄じゃないとダメなんだ。山田将司でないと、ダメなんだ。だから、身勝手なお願いだけれど、あなたにはずっとずっと歌っていてほしい。ええと、つまり、本当にうまく言えない、チクショウ、そうか、私が伝えたいのは、あなたについて知っていることはほとんど無いけれど、ただ、山田将司のことが大好きだ、ということだ。ただ、それだけだ。ずっと解っていたことだ。今更言及するまでもないことだ。チクショウ。

なんの力にもなれないけれど、もしもなにか、私にもできることがあるとすれば、それはとにかく彼らのライブを見続けることではないかと思っている。ただ、彼らの勇姿を目撃し続けること、畢竟、できるかぎり立ち会うこと。「また生きて会おうぜ」と、彼が魂を切り分けながら約束してくれたことを守るためにも、ただ、会いに行く。それが私にもできることではないだろうかと、少々無理やりだけれど、私なりに出した答えである。もちろん無理はしないでほしい。ただ、無理をしないでと言うよりも、自分にできそうな方法で、彼らと関係することができるのではないかと、すべてが烏滸がましいけれど、横暴だと解っていても、それでも、そう感じている。

今まで以上にライブの尊さも、彼らの音楽が大切であることも痛感して、なんだか涙が出てきた。全体的に途方もなくまとまりがないし、私はすごく気持ち悪い。ごめんなさい。すべて解り切っていたことではあるけれど、言語化することで改めて存在の大きさに気付かされもしたよ。

刺さった棘はそのままで、チクリと痛む感覚も無くなるわけではなくて、自分の感情も整然としたわけでもない。彼らを大好きなことも、これからもライブに行くことも、どれも、自分にとっては至極当然のことだけれど、これからも、心から関係したい。そう、関係したい、というのが、おそらくもっとも近しい感情だと思う。主観の渦から一向に抜け出せない。うっ徹頭徹尾気持ち悪くてごめんなさい。

またライブに行きます。野音2Days本当にお疲れ様でした。両日とも立ち会えたことに深く感謝しています。今日も、ありがとうございました。